第1章 沖縄に“通う”脳科学者

ResorTech EXPO(リゾテックエキスポ) 2025 in Okinawa基調講演として行われた、「脳科学者が語るAIとのこれから 沖縄から考える未来」
脳科学者の茂木健一郎さんをお迎えし、AIの基礎から最新の動向、人間の「生きがい」「なごみ」を軸としたAIとの関わり方、そして沖縄の持つ大きな可能性も語っていただきました。

会場は超満員。周辺には立ち見の方も多くおられ、オンラインからも21名の参加がありました。
司会を務める崎山一葉さんからのあいさつ、略歴紹介が終わり、いよいよ登壇です。

「今日の講演には資料はありません。AIの進化はあまりにも日進月歩で資料がすぐに古くなってしまうので、イーロン・マスクさんをはじめ、AIの最先端にいる人たちは誰も資料を使わないんです。プレゼン資料を作らない口実が必要な人は、ぜひこの“イーロン・マスク方式”を覚えて帰ってください」

そんなユーモアあふれる第一声で、会場の空気を一気に和やかにした茂木さん。
沖縄が大好きで、学会や仕事なども含め少なくとも100回は訪れ、ゆいレールに乗っていると通勤しているような気持ちになることもあるそうです。沖縄県産ビールや島野菜、郷土料理、珍しい蝶をはじめとする豊かな自然も楽しんでいるのだとか。「ある時から、沖縄の人はこう、文化はこう、と一概に言えないと思うようになった」という言葉からは、沖縄への深い関心と理解がうかがえました。

リゾート地沖縄のあらゆる産業を支え、その生産性や付加価値を向上させる取り組みであるResorTech(リゾテック) という言葉については、EXPO実行委員長であるISCO理事長の日比氏から概要を聞いたといいます。
リゾート×ITテクノロジーは沖縄にとって大切なテーマであり、ものすごく深い未来を指し示していると思う。今日はとても濃い内容の話になります」

ChatGPTモーメント、大規模言語モデルの仕組みと不思議

講演の前半は、AIの技術的な背景と意外なお話を、専門的な知識を持たない人にとっても身近に感じられる例挙げながら、おもしろく、わかりやすく伝える内容でした。
まず茂木氏は、2023年のChatGPTの登場がAI研究者たちにもたらした衝撃を、“ChatGPTモーメント”と名付けて振り返ります。

「もともとAIが大好きでずっと関心を持ってきた僕ですら『あんなことがあるんだ』と本当にびっくりしたんです」

2017年に提案された無数のトークン(文章や文字を情報の塊で表したもの)どうしの距離を測り、最も近いものを選んでいく仕組みである“ネクストトークンプレディクション”を、茂木さんは『犬も歩けば…(棒に当たる)』『猫はこたつで…(丸くなる)』という身近な言葉から説明した茂木さん。これが大規模言語モデル、LLM(※1)の仕組みです。

気の遠くなるような膨大な組み合わせから最適なものを選ぶための高速かつ高度な計算を支えているのは、あの大人気の家庭用ゲーム機にも使われている画像処理システムのGPU(グラフィックス・プロセッシング・ユニット/※2)
ChatGPTはこうした技術に支えられ、人間が入力した文章(プロンプト)に対し、この次には何が来るのが自然か、つまり最も確率の高い続きを予測して、答えを返しているだけなのだそうです。

「それなのに、未だに、なぜ大規模言語モデルがあんなに賢いのかを理論的に説明できた人はいないんです。日本のAIの父、甘利俊一先生ですら、『何であんなにうまくいくのかよくわからないんだよね』と笑っている。すごくないですか。我々はそんな時代に生きているんです。もう魔法に近い。これ、生かさなくちゃだめでしょう

“魔法のような、でも確かな技術の裏付けがある存在”として語られたAIの現在地。さらに茂木さんの言葉は続きます。

「だからこそ、AIやDXで仕事の方法を変え、社会を変え、もっと幸せで、お互いに優しく協力し合えるゆいまーるの世界を作ろうというResorTechの取り組みは本当にすばらしいと思うんです」

※1 大規模言語モデル(LLM) :膨大なデータで学習したAI。ChatGPTなどがこれにあたる
※2  GPU(グラフィックス・プロセッシング・ユニット):画像処理用の高速計算装置

「置き換える」or「高める」。人間の意図を超えて発達するAIとの向き合い方を選ぶのは、私たち一人ひとり

ここで、テーマは「AIと人間の関係」に移ります。
茂木さんが今、研究テーマの中心に据えているのは「AIアライメント(※3)」

「“アライメント”は、二本の線を並べるイメージ。人間とAIという線をいい感じに並べるにはどうすればいいかを考えているんですが、そこで問題になるのが、AIってどう育つかわかんないよね、ということなんです」

実は、AIを学習させることと人間が育つ過程は似ている、と言われているのだそうです。

「経験のある方は実感していると思うんですが、子どもがどう育つか、親はコントロールできないですよね。
健康を願って“健一郎”と名付けた子どもが、蝶好きに育つことも、物理学科に行くことも、ましてや脳科学を始めることなんて、親は想定してないんです。皆さん自身やお子さんのことを考えてみても、教育環境をどんなに整えても、人がどう育つかなんてわからない、と思いませんか」

教育環境を用意することはできても、どう育つかはコントロールできない。AIもそういうものなのだと茂木さんは話します。
研究者、つまり親のような存在であっても完全には予測できないAIの振る舞い。人間にとって危険なものにもなりうるからこそ、彼らとのより良い関係性を探ることが必要なのです。

茂木さんはさらに、AIが人間の能力を超える転換点であるシンギュラリティ(技術的特異点)についても、計算能力や将棋を例に、「分野ごとに区切ればもう起こっている」と指摘します。

「計算能力でAIに対抗しようという人はいないですよね。トップ棋士がAIに敗れたのが今から10年以上前。そこからすさまじい進化を遂げて、今では将棋の天才藤井聡太さんもAIを大いに活用し、この間お話する機会があった羽生善治さんは、『もうAIどうしの将棋は理解できない』と言っていました。羽生さんがですよ。そういう時代なんです」

AIとの関係性において、私たちは今大きな二つの分岐点に立っているそうです。
一つは、人間の能力をAIで置き換えてしまう、ポストヒューマニズムの道。
もう一つはトランスヒューマニズム。AIで人間をより強く、進化させる道です。

「最近、学生の書く英語が妙にうまいんです。聞いてみるとChatGPTを使っている。それくらいAIの英語力は上がっています。
『AIが上手に書いてくれるから、もう任せちゃおう』という誘惑に乗るのが、サボるためのAIの使い方で、ポストヒューマニズム。これでは、電話番号や漢字を覚えられなくなってしまうのと同様に、英語力は退化してしまいます。一方で、AI添削の英語を『こう表現すればいいんだ』と咀嚼して自分のものにし、自分の英語脳の回路を鍛えるのがトランスヒューマニズム。こちらは当然、英語力は伸びていきますよね。
AIをサボるために使うのか、それとも自分を高めるために使うのか。これが大きな分岐点です」

※3 AIアライメント: AIと人間の目的や価値観を調和させる研究

世界が注目する“ブルーゾーン”沖縄。小さな幸せ「生きがい」も、生み出されるコンテンツの質も高めるAIの生かし方

茂木さんの英語版の著作『Ikigai(生きがい)』は、2017年発表の世界的なベストセラー。日本語を含め33の言語に訳され、58の国と地域で出版されています。「生きがい」という言葉は世界中の関心を集め、ブームになっているのだそうです。
ブームのきっかけの一つは沖縄。70年ほど前、健康で長寿な人が数多く存在する地域「ブルーゾーン」5地域の一つに日本・沖縄が数えられ、長寿の理由のひとつとして「生きがい」について言及されたことでした。

「生きがいって、 “朝起きる理由”なんです。犬と散歩する。おいしいコーヒーを飲む。海を見に行く。漁師のおじいちゃんが獲ってきた魚を孫に食べさせ、『おいしいよ』と言われる。空手を教える。そんな小さな、でも人生を支えてくれる楽しみや喜びです」

桜の時期には花見を楽しみ、つぶあんとこしあんはどちらが好きかという話題で盛り上がれる。日本人があたりまえに持っている感覚は、人生の大きな目的や成し遂げるべきことを重視する文化を持つ欧米の人々にとって、「日常のこんな小さなことで楽しめるのか」と非常に新鮮に映るのだそうです。

「人生の大きな目標は多くの人が持っていると思います。例えば僕なら意識が脳からどう生まれるかを解き明かすこと。でも、毎日それを考えながら起きるわけじゃない。それとは全然関係のない小さな喜びを大切に味わうことは日本人のすばらしい知恵なんです」

実は、「生きがい」は、人間とAIとの関係を考えるうえでも欠かせないもの。現在、「生きがいリスク」という言葉が世界的な注目を浴びています。
AIが人の生きがいを奪ってしまってはいけない、そこに気をつけて生かしていかなければ、という考え方が生まれているといいます。

「例えば、宮崎駿さん。以前TV番組で取材した時も彼はずっと絵コンテを描いていました。賞もお金も関係ない、彼にとっての生きがいなんですよね。もし『これからはAIが描くから、仕事しないでのんびりしてていいよ』と言ったとしたら、生きがいを奪ってしまうことになります。そんな宮崎さん、かわいそうで見ていられないですよね」

スーパーマリオブラザーズやポケットモンスターなど、世界中の人の心を動かし、愛されている日本生まれのコンテンツ。それは子ども心を忘れず、その楽しさを純粋に表現しているからだと茂木さんは考えています。

「地ビールも、ポークも、タコスも、ゴーヤーチャンプルーも、島らっきょうも本当においしい。やんばるの森も、僕は大好きです。沖縄にはおいしいものも豊かな自然も本当にたくさんある。そして、子ども心を忘れていない大人がたくさんいますよね。綱引きもあちこちでやって、エイサーもあって。
AIの活用は、仕事の現場でそれぞれが感じている生きがいを奪うのではなく、増やし、高めていく方向で考えたいですよね。そして、それは生み出されるものの質にも大きく関わっていくものだと思います」

ResorTechと「なごみ」—「ゆんたく」「ゆいまーる」「てーげー」…沖縄の文化が示すAI活用の可能性

ResorTech は、Resort(リゾート)とTechnology(テクノロジー)を掛け合わせた言葉で、リゾート地である沖縄の観光産業をテクノロジーで支えるという発想からスタートし、今では、「リゾート地沖縄のあらゆる産業を支え、その生産性や付加価値を向上させるテクノロジー」という意味で使われています。
茂木さんは、「リゾート」が組み込まれていることに「なかなか深い」という思いを持ったそうです。

「AIの活用で我々の生活を生きがいに満ちた創造的な仕事ができ、あたかも毎日リゾートにいるようなクオリティにしていく、というビジョンがあったら、僕はすごくいい施策だと思います」

仕事とバケーションをつなげるワーケーション、長期滞在型のリゾート、国内留学、移住、仕事や学業などでその地域に関わる関係人口。そうしたものをどうマッチングしていくかに、AIは非常に有効なものだそうです。
どんな職場、学校で、どんな職種や勉強ができ、どんな環境でどんな生活を送りたいか。マッチングや調整をAIに任せることで、一人ひとり異なる生きがいを最大限に高められるプラン作成が可能になると、ビジネスは大きく進むのではないか。そんな可能性も示されました。

茂木さんの2冊目の英語の著作のテーマは『Nagomi(なごみ)』

「そもそも聖徳太子が『和をもって尊しとなす』と言っているように、日本はなごみの国。抹茶アイスもなごみ。アイスクリームに抹茶を混ぜる、沖縄で言えばチャンプルーすることで新しい価値を生む。ゆとりにもつながるてーげー(適当)ゆいまーる(支え合い)。これは全部なごみじゃないですか」

こうした「なごみ」を、AIを活用したDXに取り入れていけないか。茂木さんは、沖縄の文化にも合致し、将来を左右するものになると指摘します。

人々の協力関係をAIでどのように推進していくかという研究も進んでいます。茂木さんの東大のラボのテーマは、人々の個性が響き合って、いかに多くの人が力を発揮するかという「コレクティブ・インテリジェンス」。これはまさにゆいまーるなのだと言うのです。

「首里城の再建、本当に良かった。首里城近くにある金城町の石畳、好きなんです。その途中に地元のおばあが座ってゆったりできるスペースがあって、そういう空間の作り方には本当に沖縄のすばらしい知恵があると感じます。
ゆんたく(おしゃべり)してゆいまーるする感じは、これから人々が個性を響き合わせて共同に創造していく一つのモデルケース。それをAIが調整する研究が進んできています」

その一つが「ハーバーマス・マシン」。対立する意見をAIが取り持って双方が納得できるものにまとめていくツールです。

「沖縄でもあるでしょう、厳しい意見の対立軸が。コーレーグースはゴーヤーチャンプルーにかけるべきかどうかとか」と、自身が何にでも使って「沖縄そば以外にはかけるものじゃない」と言われたというエピソードで笑いを誘う茂木さん。

そんな対立について、ゆんたくして、ゆいまーるして、てーげーになごみを作ること。人間だけよりも、むしろAIが介在した方が、対立を超えて一つの意見に到達できるのではという考え方は、今すごく注目されています」

沖縄から世界へ—人間を真ん中に置くAIの未来

沖縄は芸能の島。そのポテンシャルを、茂木さんは高く評価します。
沖縄といえば何といっても芸能、エンタメ。僕は本当にすごい可能性があると思っています。大成功しているK-POPのポジションに、沖縄は行けるはずなんですよ。それを、AIやDXの力を借りてやっていくのはどうでしょう」

沖縄発で世界的にブレークし、世界中の人々が沖縄が源流だと認識しているものがあります。それは、空手。1985年に公開された映画『The Karate Kid』は、日本では『ベスト・キッド』として大ヒットし、続編やリメイクも繰り返されています。

「第二作目は沖縄が舞台でした。沖縄空手の基本は型。敵と戦う、争うのではない、沖縄の知恵が詰まったものです。沖縄で生まれ、世界的なブームなのに、それを沖縄でうまく生かせていないと思うんです」

茂木さんは、喜納昌吉さんの『花』をはじめとする沖縄の音楽にも世界の心を動かすすばらしい可能性があるとし、それを生かした沖縄からのDX、AIの振興はあっていいのではないか、世界に広がっていく可能性がある、と話します。

沖縄に来るたび、命を尊ぶ気持ちを感じ、その大切さを実感させられることが多いと話す茂木さん。そんな沖縄には、説得力をもってウェルネスを訴えかけることができる力があるといいます。
ただし、沖縄でDXを成功させ産業を盛り立てていくことについては、チャレンジの側面も強いと語ります。

「ITやAIの競争はグローバル。地域振興とAIをどう結びつけるかは実はそんな簡単なことじゃない。ただね、脳の研究をしている立場から言うと、やっぱり最後は人間なんですよ。『Human in the Loop(ヒューマンインザループ/※4)』人間が何を求めているのか、何を幸せと感じるのか、何に生きがいを感じるのか。そのことを知っている我々こそが、DXの最後の決め手になるんです」

茂木さんは GAFAM (※5)のようなアメリカの大企業が作った基盤モデルをどう使おうかと考えるのではなく、多くの人が普段からAIに触れ、使い倒していくことこそが重要だと考えているそうです。そうすれば知恵が出てきて、決められたAIの使い方ではなく、AIを使うアイデアを持てるようになるといいます。

生きがいの世界的な中心地である沖縄らしい、人間が、生きがいが真ん中にあるAIの使い方ゆいまーる、てーげーというなごみの精神で、人がお互いの個性を響き合わせてつながり合う。そんなAIの使い方ができるといいなと思っています

大好きな沖縄に来たのに、ビールも泡盛も飲めずにとんぼ返りしなければならない、と嘆いた茂木さん。「絶対にリベンジしてまた沖縄にゆっくり来ます、その時はまた皆さんにお会いしたい」。そんな温かな別れの言葉に、超満員の観客は割れんばかりの拍手で応えました。

AIの最前線、沖縄の文化、そして一人ひとりの「生きがい」。様々なテーマを縦横無尽につなぎながら、茂木さんは沖縄らしい「人間と生きがいが真ん中のAIとDXの未来」を示してくれました。
その実現のための力は、沖縄にすでに十分に備わっているのです。私たち一人ひとりの行動が、その未来を引き寄せることにつながります。

控室にて。茂木さん、本当にありがとうございました。そして、またぜひお目にかかりたいです!

おすすめキーワード